我が道を行く ブルーオーシャンを追求するということ

アメリカ不動産投資で資産倍増中ブログの中山道子です。引き続き、正月気分が抜けません。今、ちょうど端境期で時間の余裕があるので、本業についてではなく、雑談記事を書きたい気分です。

日本で有名になった経営戦略論に、「レッド・オーシャン、ブルー・オーシャン」論というのがあります。アメリカでは、援用されているのを聞いたことがありませんが、ウィキを見ると、

競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説いている。

と説明されています。

私は経営学を勉強したことはないのですが、この考え方は、世の中の多くのことに当てはまるなと時々思います。

もともとのコンセプトの正確な内容は知らないのですが、大体、自分がものを考える軸として用いる場合は、「みんながやりたがることをやることには、コストがかかりすぎる(のでやらないほうがいい場合がある)、その逆もしかり」といったようなアバウトな指針としで、理解しています。

例えば、私は、1966年生まれで、これは、昔風の考え方をすると、丙午(ひのえうま)。昔は、丙午年というのは、特に女性については、忌み嫌われる年でしたので、この年には総出産数がガクッと減っています。この結果どういうことになったかというと、競争が少なかったということで、私は、大学受験の時に、大きく得をしたはずです。

そこまで考えて、両親が私を生んだということはないはずですが、「丙午を避けるという考え方は馬鹿らしい」という合理的な両親の元、生まれることができたため、たぶん、大学卒業時や就職時(バブル最後)に、大きく得をしているわけです。

この例に限らず、自分の人生というのは、常に、統計的なアウトライヤー(外れ値)でした。

いわゆる帰国子女でしたので、そこでもう少数派なのですが、それに加えて、「帰国子女組」が集まると、皆さんは、ニューヨークとか、欧米主要都市居住歴のある華やかな帰国子女。ニューヨークで、幼馴染だった仲間が、東京で大人になって、また、楽しくやっているなんて言うキラキラした方々までいました。

それに対し、私は、「カリブ海から帰ってきたばかりですが、それが何か?」状態。なんと、少数派である帰国子女コミュニティ内においてですら、孤立マイノリティだったわけです。

自分が望んだわけでないのに、なぜか、あらゆるところで、アウトライヤー人間で、どこに行っても、なじめない。今でこそ、「ネタ」に過ぎませんが、若い時は、「どこに行っても、変わっているといわれる、なぜか、みんなと一緒の行動がとれない」というのは、一大テーマでした。

しかし、よくよく考えてみると、ある道で秀でる、プロになる、あるいは成功するということは、実際には、統計的なアウトライヤーになることに間違いありません。アウトライヤーになることを恐れていては、成功はおぼつかないのです。

若い時は、戦略なしに、アウトライヤー的な道を歩んできたというか、やむにやまれず、歩まざるを得なかった私ですが、大学入試の例で分かるように、そのことのメリットに気が付いてからは、近年では、「わざと、アウトライヤーを狙う」ことを意識して行動するようになりました。

アウトライヤーを狙うというと、「一つの専門に習熟するのに1万時間」という、マルコム・グラッドウエル氏(そういえば彼もアイランダー、ジャマイカ系カナダ人でした)が一般化したテーゼがありますが、これは、結構きついです。

それでは、どうするかというと、やはりこれもよく言われますが、専門性の掛け合わせ。一つの専門分野では、凡庸なレベルに過ぎなくても、別の分野でやはりプロフェッショナルとなり、両方をクロスさせると、それなりの専門性を確立できる、という戦略です。

現在の私のマーケット価値というのも、英語、不動産、投資、インターネット・マーケッティングといった複数の柱の掛け合わせで、自分自身が、プチ市場を作っている状態。学校で、こういう仕事があると教わるようなものではなく、他を見ても、「同じようなことをやっている人は、ほとんどいない」というところまで持ってくることができました。孤独路線を突っ走る私ではありますが、考え方を変えれば、「業界の付き合い」もなく、人に合わせないで済むので、職業生活の指針は効率性、生産性のみ。快適そのものです。

また、米国で仕事をするにあたっても、大体、どこのコミュニティ出身の方であろうと、何か共通の糸口を見つけて話題にし、スムーズに付き合いをすることができます。これは、子供のころから、海外で、いろいろなカルチャー、人種の方々とのやり取りに揉まれた経験が役に立っているから。現在の人生は、得意なことを追求した結果なので、当たり前と言えば当たり前ですが、私の暗黒の帰国子女時代は、いまの私にとっては、メリットでしかありません。

そんなわけで、子供にも、アウトライヤーになることを恐れないで構わないのだ、むしろ、競争のないところで自分を磨くことが、自分の市場価値を差別化させるための効果的な戦略になるのだ、と教えるようにしています。うちの子も、親のせいで、自分なりのアウトライヤー人生をすでに歩み始めており、やはり、孤独を克服するというテーマに向き合ってきました。


子供がハマっているパルクールは、なぜか、女子には人気がありません。年齢的に身体能力に性差が出てくる時期に掛かっていますが、いつも紅一点で、よく頑張っています。社会に出れば、報酬が一番高い仕事というのは男性優位なもの。見返りが欲しければ、男子に交じる競争にどんどん突入していく覚悟をするように言っています。

このブログは、おかげさまで、20台、30台の若い方にも読んでいただいているようです。人と違う道を歩むことには、コストは確かにありますので、和を重んじるような会社で出世したい方には、当てはまらないアドバイスかもしれませんが、変革の時代には、人より抜きんでる、あるいは、自分にとって疲れない居場所を探すためだけであっても、「理解されなくても構わない」くらいの図太さや、「どう思われているのかまで、気が回らない」くらいのKY力が重要。居場所を変える戦略も、私の得意とするところです。

懐かしの我が日本では、「忘年会が嫌」「新年会に出たくない」といった相変わらずの話題がネット上、にぎわっているのを見て、「日本社会というのは、私が20台だった頃、30年前と、本当にあまり変わっていないのだろうか?」と残念に思った次第です。

 

トップの写真は、南アのプレトリアで迎えた七五三。教会で祝ってもらったのでしょうか? 訳が分からない、、、私の人生のミスマッチを象徴するような写真なので、気分で選んでみました。